「私は、成長し続けている人が好きだ。」
そう言うと、パッと頭に浮かぶイメージは「成果を出し続ける人」や「実績を積み上げている人」かもしれません。
もちろん、それも大切な成長のかたちのひとつです。
けれど、私が「成長し続けている人」に惹かれる理由は、もう少し別のところにあります。
それは、「辛さ」「苦しさ」「虚しさ」「悔しさ」「悲しみ」といった、誰しもが抱える“人の痛み”をどう理解しているか。
ここにこそ、その人が本当の意味で成長しているかどうかが映し出されると感じているからです。
人の痛みを理解するということ
痛みを理解するとは、ただその苦しさを共感するだけでなく、「その人は今どれだけ頑張っているのか」「どれくらいの負荷がかかっているのか」を感じ取れるようになること。
心の痛みに寄り添える人は、多くの場合、自分自身が同じような痛みを経験してきた人だと思います。
いくつもの苦労や困難を乗り越えた経験がある人は、相手の「適度な負荷」や「無理している度合い」を察することができます。
それは、苦労してきた中で、自分にとっての「適度さ」というものを学んできたから。自分自身が乗り越えてきた道のりを思い起こすことで、相手の痛みに寄り添う感覚を持ち合わせているのです。
「適度」だからこそ見えてくるもの
私自身が大切にしている「適度な感覚」とは、次のようなものです。
- 適度な自信
やみくもに「できる!やる!」と突っ走るのではなく、自分の力を客観的に理解した上で前に進む。
- 適度な集中
自分のエネルギーを適切に配分し、本当に大事なことだけに力を注ぐ。
- 適度な精神の安定
気持ちが揺れ動くことはあっても、自分の根っこがぶれないように落ち着きを保つ。
- 適度な勇気
大きすぎる一歩ではなく、小さいけれど確実な一歩を踏み出す勇気。
- 適度な誇り
自分を見失わないためのプライドを持ちながらも、他者の意見に耳を傾ける柔軟さを失わない。
この「適度」という感覚を手に入れるためには、自分自身を大切にする習慣が必要です。
つまり、「自分が今、何を感じているのか」「どんなコンディションなのか」を常に把握し、メンテナンスすること。
これを続けていけば、自然と相手の痛みにも目が向きやすくなり、寄り添い方が見えてくるものだと感じます。
痛みと向き合う怖さと、その先にある喜び
痛みや苦しさと真正面から向き合うのは、誰にとっても怖いものです。過去の辛い経験を思い出したり、まだ癒えていない傷に触れるような感覚になることもあるでしょう。
私も何度も、そうした怖さに立ちすくむ自分を感じてきました。
しかし、そこで目を逸らしてしまうと、自分の本質的な成長にはつながりません。
むしろ「いつか向き合わなきゃいけない」と頭ではわかっていながら、その痛みを放置することで、あとになって大きく振り返ってくることもあります。
私自身、生まれてから今日に至るまでの38年間、本当にいろいろな苦労を経験してきました。ときには「もう無理だ」と感じるほどの困難にぶつかり、「なんで私ばかり……」と嘆いた日々もあります。
でも、今でははっきりと言えるんです。
めっちゃ!めーーっちゃ!!めーーーっちゃ!!!
苦労してきて良かったーーーーーーーーー❣️✨
と、心の底から思っています。なぜなら、あのときの苦労や困難があったからこそ、私は自分の弱さや痛みに気づき、同時に他者の痛みにも目を向けることができるようになりました。
苦労の先にある「究極の理解」
「成長する」というと、どこかキラキラとしたイメージや、華やかな成功ばかりに目がいきがちです。しかし、本当は“痛み”や“苦しみ”という裏側があってこそ、その人の強さや優しさは形づくられていくのだと感じます。
苦労や困難の先には、「究極の理解」が待っている。
この考え方は、私にとって大きな支えになっています。辛いことが起きても、その先には何か得難い学びがあるはずだと思えるからこそ、踏ん張って進もうと思えるのです。
私も日々、成長を選びながら、「痛み」という学びを楽しむようにしています。もちろん、痛みそのものはできるなら避けたいものですし、怖いものです。けれど、痛みに向き合わなければ気づけない「自分の限界」や「相手の気持ち」が確かに存在するのも事実。それらを知ることで人は強く、優しく、柔軟になれるのではないでしょうか。
最後に:あなたは苦労や困難をどう捉えますか?
さて、あなたは苦労や困難をどのように捉えていますか?
壁にぶつかると、人は往々にして「なぜこんな目に遭うんだろう」と嘆いたり、逃げ出したくなったりします。でも、その壁の向こうには、もしかしたら今のあなたには見えていない世界が広がっているかもしれません。
もしよかったら、次にお会いするときにでも、あなたの「苦労」や「困難」の捉え方を聞かせてください。そこにはきっと、あなただけが知っている大切なストーリーがあるはずです。
そして、そのストーリーを分かち合うことで、お互いがまた一歩ずつ成長していけるのだと思います。
私もこれから先、どんな困難がやってきても「究極の理解」を目指して、日々の成長を楽しんでいきたいと思います。あなたも、あなたらしいペースで「適度な」前進を続けていけますように。
一緒に、痛みの先にある学びと喜びを味わいながら、人生を豊かにしていきましょう。