愛を受け取り、愛を選ぶ、私らしく生きるための親離れ


「親離れ」という言葉を耳にすると、多くの人が思春期の反抗期を想像するのではないでしょうか。

親の言うことに反発し、自分の世界を切り拓くことが“自立”だと思いがちです。

しかし、本当の意味での「親離れ」は、親を嫌うことでも、ただ距離を置くことでもありません。

むしろ、親を許し、愛されていたことを受け止めた上で、「自分はどう生きるか」を選択できるようになること。

これこそが、心の自立の第一歩だと考えられます。


目次

親離れは「嫌って自立する」ことではない

思春期にありがちな反抗や、親への怒り・わだかまりだけでは、真の意味での親離れにはつながりません。

なぜなら、“嫌いだから離れる”というのは、親との関係そのものを否定し、遮断してしまう行為だからです。

そうした形での離れ方は、ある種「心のドアを閉ざす」状態に近く、過去に親から受け取ったものすべてを否定してしまうことにもなりかねません。

しかし、本当の親離れは「許し」から始まるといえます。「親も親なりに最善を尽くしていたのかもしれない」「自分を愛そうとしていたのかもしれない」など、もう一度親の姿を見つめ直し、そこで自分が受け取ってきた愛情や価値観に気づくことが重要なのです。


親を許すということ

「許す」と一口に言っても、簡単なことではありません。ときには過去の思い出が痛みを伴い、どうしても親を責めたくなることもあるでしょう。あるいは、「本当に愛されていたのかな?」と疑問を抱き続けることだってあるかもしれません。

それでも一歩ずつ、親なりの思いや背景を理解しようと試みるうちに、少しずつ「私自身も大切にされていた」という感覚が芽生える瞬間が訪れます。

そこに立ち戻る作業こそが、「親離れ」に向かう道筋のひとつ。そして、親を心の底から“嫌う”のではなく、親もひとりの人間であると認め、許せたときにこそ、本当の自立への扉が開かれるのです。


親からの影響をどう選ぶか

「親離れ」の状態において大切なのは、親からの影響を“選択”できることです。嫌なことがあればすべてシャットアウトするわけでもなく、かといって全面的に受け入れるわけでもありません。

  • 愛されていたことを思い出す
    「小さいころはこうやって世話してもらった」「あんなに怒っていたのは、私のことを思ってのことだったのかもしれない」など、当時は分からなかった親の思いを肯定的に捉え直すとき、そこに自分にとって大切な“愛の形”が見つかることがあります。
     
  • 価値観や教育を自分の糧にする
    「これは自分の生き方に合う」「これはちょっと違うな」と、親から得た価値観をきちんと整理することで、自分らしい生き方をデザインできます。合わないと感じるものまで抱える必要はなく、自分に必要だと思う部分だけを取捨選択すればよいのです。

親離れの先にある「私らしさ」

遮断でも依存でもなく、自分らしく選択をしていく姿勢こそが、親離れ後の「私らしい人生」を築く礎となります。

親と距離をとりつつも、「こういうところは私の中に生きているんだな」と認められるようになると、親への批判や恨みは不思議と薄れ、自分の足で立つ感覚が芽生えてきます。

親が持っていた良さや、思いやりの心、さらには性格や習慣などは、まったく無関係ではありません。

ときには大いなる財産になることもあれば、逆に「ここは自分らしくない」と気づくきっかけにもなるでしょう。

どちらにせよ、親の存在が私たちに与える影響を受け入れたうえで、最終的にどう活かすかを選ぶのは自分自身です。


まとめ:親は親、私は私

たとえどんなに成長しても、私たちと親は一生切っても切れない関係です。ただし、「親は親、私は私」と思えるようになることは、逆説的にとても自由をもたらしてくれます。

親が嫌いだから離れるのではなく、過去に受け取ってきた愛や価値観をもう一度見つめ直し、そこから自分が本当に望む生き方を選び取れること。それが、本当の意味での「親離れ」なのではないでしょうか。

親の人生や思いを認めると同時に、自分は自分の人生に責任を持って進む――その両方をしっかりと抱きしめられたとき、“心の自立”は叶います。

親を許し、愛を受け取る。過去を整理しながら、私たちは少しずつ「私らしい人生」に踏み出していくのです。

そんな許しと選択のプロセスが、女性としてのこれからを豊かに彩ってくれるはずです。

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