朝、スマートフォンを見ると、母からの短いメッセージが届いていました。
「カレーがあるからね」
「運転には気をつけて。昨日の雨で路面が滑りやすいから」
わずか数行のメッセージですが、そこには母の優しさと愛情、そして遠くからの応援がしっかりと詰まっているのです。
たとえそれが“かまってちゃん”の一面に見えたとしても、私は思わず「ありがとう」と伝えたくなります。
しかし、母との関係をひと言で表すと「めちゃくちゃダメな親です!」と感じることも少なくありません。
とにかく文句は多いですし、自分の話ばかりを優先して、こちらの言葉にはなかなか耳を傾けてくれません。
謝ってほしい場面でも素直に謝らないことが多く、こちらが話しているときでも「そういえば、私の話を聞いて!」とばかりに話題をかぶせてきます。
さらに、ちょっとした衝突があると拗ねてしまい、「もう連絡はしない!」と姿を消すことすらあるのです。
どう考えても「至らない」としか表現できない母ですが、実はそんな母に育てられた私自身も、ある意味「至らない娘」だと思っています。
お互いに完璧とはほど遠い存在だからこそ、ぶつかり合うときは衝突しますし、理解し合えない部分もたくさんあります。それでも、そこにこそ独特の愛おしさが生まれているような気がするのです。
不完全だからこそ、人は愛らしい
私は「完璧な人など存在しない」と考えています。
むしろ、不器用な部分や欠点と思えるところにこそ、“人間らしさ”や“愛らしさ”が表れるのではないでしょうか。
誰しもが自分にとって譲れない部分があったり、思いどおりにいかない欠点を抱えていたりします。そうした「ちょっと厄介な部分」も「この人ならではだな」と受け止められたとき、人間関係はぐっと近づいていくように思います。
母は、とにかく自分の思いを口に出さずにはいられないタイプです。
強がりで弱音を吐かないように見えて、実は甘えん坊の一面があるのかもしれません。
私が「今こんなことで悩んでいて…」と話そうとすると、「そういえば私もね…」と被せてくるのは、「私の話も聞いてほしい!」という一種のアピールなのでしょう。
そう考えると、母のわがままぶりが少し微笑ましく感じられます。
親子だからこそ起こるコントのような衝突
最近では、孫(私の娘)へのしつけの方法が合わず、ちょっとした喧嘩になりました。
「もう孫の面倒なんて見ない!」と宣言した母は、そのまま1週間ほど音信不通になったのです。状況だけ見るとかなり大変そうに思えますが、私もだんだん慣れてきて「また始まったな」と苦笑いで受け流す術を覚えました。
- 私:「あの…お母さん?ちょっと落ち着いて、話し合いましょう。電話には出てください」
- 母:「……(無言)」
- 私:「大丈夫だから、落ち着いて聞いてほしいの」
- 母:「いや、でもね! 私だって!」
まるでコントのような押し問答を繰り返し、最終的には互いに「ごめんね」と言い合いながら元に戻ります。
おそらく、この親子コントは一生続くのでしょう。
思い返せば、幼い頃から母とは似たような衝突を何度も経験してきました。それでも、最終的には笑い合えるのですから、不思議と「こういう関係も悪くないな」と思えてしまいます。
“親は親、私は私”の距離感
母を「完璧な存在」だと思わなくなったのは、私自身がある程度大人になってからです。
母には母の人生や価値観があり、私の人生や価値観とは必ずしも重ならない。
そのため、無理にコントロールしようとするとお互いが苦しくなってしまいます。
「親は親、私は私」という境界線をはっきり意識できるようになると、母の行動に対してイライラするよりも先に、「ああ、また母らしいな」と思える余裕が生まれてきました。
不器用で強引なところを「困った人ね」と笑いつつも、そこに母らしさを見出すことができるようになったのです。
結局は私も母の“娘”であり、その影響を少なからず受けて成長してきたわけですから、至らなさを含めて自分に通じるものがあるのだと思います。
感謝の気持ちを伝えたくなるとき
衝突が終わったあとに改めて母のことを考えると、「やっぱりありがたい存在だな」としみじみ感じます。
少しくらいわがままで、かまってちゃんで、衝突も絶えない母ですが、朝のメッセージには優しさが詰まっていますし、思いがけないところで私のことを気づかってくれる面もあります。
「また東京に連れ出してあげようかな」と思うとき、母の楽しそうな笑顔を想像するだけで私も元気になれます。
完璧とは言い難い母だからこそ、私もこの何とも言えない親子コントを受け入れられるのかもしれません。
むしろ、この不完全さこそが私と母のつながりを深め、何度も壁を乗り越えてきた原動力なのだと思います。
まとめ:不完全さと仲良くするという選択
大人になってから、親との関係で悩む方も多いと思います。
「もっと仲良くしたい」「できればぶつかり合いたくない」と思っても、なかなかうまくいかないことがあるでしょう。
けれども、親が完璧でないのと同じように、私たち自身も完璧ではありません。どちらも不完全な存在だからこそ、衝突したり笑い合えたりするのです。
- 親は親の人生を、子どもは子どもの人生を、それぞれ歩む。
- 互いの至らなさを責めすぎず、かといって放置しすぎず、ちょうどよい距離感を見つける。
- いつか「あのときは本当に大変だったけど、今なら笑えるね」と思える日がくるかもしれません。
私もまだまだ衝突が絶えませんが、母の“かまってちゃん”ぶりも含めて愛おしいと感じる瞬間が増えてきました。
これからもケンカや言い争いをしながら、同時に笑い合い、何とか歩み寄っていくのでしょう。
そんな不完全な親子の姿にこそ、かけがえのないドラマが詰まっていると信じています。